年金2000万「この記事でスッキリ!」
- どろだんごのおっちゃん
- 2019年7月8日
- 読了時間: 2分
「老後に2000万円が必要」とする金融庁の報告書で噴出した怒りの年金問題。たしか、何年前だつたか、当時の公明党厚生?労働?大臣が「100年安心」と言って、選挙の際、さかんに公明党のチラシやポスタ-で大宣伝していたことを、いまはっきり思い出した。
私もカミさんも年金受給者なので、この間、もやもやしていたところだが、ちょうど東京新聞のコラム「時代を読む」を見て「もやもやがスッキリ」。書いたのは、私の住む藤岡市から約40キロ奥の群馬県上野村に在住する哲学者の内山節(たかし)さんです。
テ-マは「老後不安で投資をあおる不快さ」で、この中で、内山節さんは、2つの不快さをあげ、一つは、「本当に二千万円必要かどうかが問題なのではない。問題は老後の生活資金について、国が国民に指示を出すこと自体にある。しかも二千万円をためるために、貯金ではなく投資をせよというのだから、その精神構造にあきれてしまう」と。その上で「私たちは誰もが自分たちの生きる世界を持っている。高齢になってからの生きる世界は、それまでの何十年間によってつくりあげられた、かけがえないものだ。そういうものに対する、最近の流行語で言えばリスペクト(敬意、尊重)がないのである。」そして、「それは今の政治に温かさがないことと結びついている。仮に年金だけでは多くの人たちが暮らせないのであれば、それでも何とかできるように、高齢者が働きやすい環境を整えたり、支えあえる社会や社会保障のかたちを考えるのが政治の役割だろう。<年金だけでは足りないから投資しろ>と言うだけなら、政治はいらない。」と。不快のもう一つは、「人間をお金のために働き、お金を貯める動物として扱っていることだ。若いうちから老後のためにも貯蓄をし、投資を行う。この発想からみえてくるのは、現役の人間も、老後を迎えた人々も、国民はお金だけで生きている動物だと見下す態度である。それぞれの人々が築き上げてきた、かけがえのない人生に対するリスペクトが、あまりにも欠けている」としている。「まさに「この通り!」である。全文は、トップペ-ジに掲載しています。東京新聞6月30日(日)朝刊から。
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